神戸大震災 … あの日の記録
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| (C)神戸新聞社
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1995年1月17日の神戸新聞夕刊。
この時はまだ被害の全容は分りませんでした。
震災では神戸新聞社の本社も全壊、新聞製作は不可能でした。
しかしこの日、神戸新聞の夕刊が発行されたのです。
休刊セズ
神戸大震災関連資料
震災資料室(神戸市)
阪神淡路大震災(神戸市消防局)
復興への道のり(兵庫県)
震災文庫(神戸大学附属図書館)
阪神淡路大震災(神戸新聞)
ドキュメント阪神大震災(産経新聞)
阪神淡路大震災(Yahoo!)
被災地レポート集(兵庫県保険医協会)
その時医療は、そして(兵庫県医師会)
最近の地震情報
JR六甲道駅の歴史
昭和12年に省線(当時)六甲道駅が開業しました。
昭和13年から15年にかけて
それまで田畑だった周辺地区の宅地化が進みます。
神戸大空襲(昭和20年)でも周辺地区の大半は被害をまぬがれ
長屋や一戸建てが数多く残りました。
石屋川の川底をくぐり抜ける鉄道路は天井川として有名でした。
昭和40年代、高度成長時代を迎え列車の増発で「開かずの踏切」となったため
国鉄(当時)六甲道駅・住吉駅間の高架橋化を行うとともに
六甲道駅舎の高架駅化が行われました。
この工事は工期10年を要した大工事でした。
そして1995年1月17日

(C)神戸市
米軍の絨毯爆撃でも破壊できなかった六甲道周辺の家屋の多くが倒壊・焼失し
JR六甲道駅は駅舎と六甲道駅・住吉駅間の高架橋がことごとく落下する被害を受けました。

出典不詳
当初は復旧・開通の目途が立たず、1年を要するとも7月開通ともいわれました。

(C)泰中美彦
JRの昼夜を徹した復旧作業により
鉄道駅では最も遅くなりながらも(復旧を一時放棄した摩耶ケーブルを除く)
ようやく1995年4月1日
六甲道駅を含む震災被害を受けた鉄道設備が全面復旧しました。

(C)神戸市
震災のあった1995年1月17日午前5時46分
JR六甲道駅では始発電車に向けた準備作業中でしたが
幸い駅員や駅関係者に大きな被害はなかったとのことです。

(C)神戸市
蘇ったJR六甲道駅。
駅舎も高架橋も崩れ落ちたものを重機で持ち上げて再利用しています。
よく見ると、
あの時の傷跡
が発見できますよ。
周辺の住宅・ビルの再建・再開発はまだまだ続きます。
写真は
神戸市・震災資料室
などから引用しました。
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